26日は母の命日だった。 2001年のもう年の押し迫り来る日。 あと今年も終わりだななんて思っていた頃、 午前中に弟から電話が来た。 「お母さんが危ないって・・・早く病院に。」と。 私の住んでいる所から母の病院までは、 同じ関東圏とはいえ、車で2時間は軽くかかる。 慌てて、旦那さんに事情を連絡した。 それから、もしかしたらということも考えて喪服も準備した。 旦那さんが帰宅してからすぐに車に乗って病院へ 向かったが、交通渋滞しているので余計に気が焦る。 早く着いてと気ばかりが募り、頭の中も動転している。 病院も初めて行く所だったので分からなくて一苦労。 やっと着いた時に、駐車場で見覚えのある顔に出会った。 父方の伯母さんだった。 伯母さんから事情を説明され、母の住んでいた所に向かう。 この3年年前に父が亡くなっているので、 どんな流れか大体は分かっていた。 母は父が亡くなった後、私が地元だった所は生まれ育った所 ではないので、後に実家を引き払い生まれ育った近くに引っ越した。 引っ越した時は私の体調がよくなかったので遊びにいけなかった。 春になったら遊びに行くよ。なんて言っていたのに・・・ こんな形で対面するなんて夢にも思わなかった。 母は長年のリウマチで闘病していたけれども、 あまり弱音を吐く人ではなかった。 でも、時々電話で話しをすると辛いとは口にしていた。 だから、こんな早くに亡くなってしまったのは悲しすぎて、 無念すぎるけれど、母がもう苦痛に悩まされなくなったかと思うと 少しは救いがあったのかもしれないと、そう自分にいい聞かせた。 お葬式の時にはお坊さんがお経をあげている時に、 ろうそくの炎がポッポッと揺れ、お義母さんが「これは喜んでいるだよ」 と教えてくれた。最後の時は喪主であった弟も堪えていた涙を 沢山流した。私も沢山流した。これを書いていも涙が止めどなく 溢れ流れて出てくる。父の時はそうでもなかったのに。 やっぱり、母の愛というのは凄いんだなと痛感する。 この年はいつも弟と過ごさな年末年始だったけれども、 さすがにすぐに独りにはなれないし、後片付けなどがあったので 旦那さんも一緒に3人で年を越した。 日常生活ではあまり思い出さないけれど、 やっぱり命日、お盆などになると色々と思い出す。 一度で良いから、スピルチュアルの江原啓之さんに見てもらいたいな。 今、母はどうしているのか。どんな思いだったのかと。 涙を流した分だけ私は明日もしっかりと生きていきたい。 楽しいことも苦しいこともあってこそ人生。 楽しいことばかりあっても成長しないし、苦しいことばかりは辛すぎる。 だから本当に平凡な普通の生活をまっとうして、この一瞬を刻みたい。 いつまでも、私達の傍で見守っていて下さい。
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